思った事

今日は「輪るピングドラム」の一話から三話までを観た。きっと何者にもなれないお前たちへ、という言葉は酷く突き刺さったものだ。

あまりにも怖くて当時は避けた。今観られるようになったのは、そういう実感が、無力感が、前よりももっとリアルに感じられるようになったからだ。

僕は自分なりによく逃げた方だと言って自分を宥めてきた。普通の就職だけはしたくないという自分の意思の強靭さを自分自身にアピールするかのように、大卒後に専門学校に進んだ。親の脛を齧って。この段階でもう既に及び腰だったが、考えないようにしてきた。「僕は挑戦したんだ」という「事実」に縋るように生きてきた。本当の意味で、レールを外れるなんて事を僕はしようとしなかった。

いつもいつでも、逃げの手を残しながら選択してきた。これをやったらもうどうなるかわからない、そういう手を打たないように打たないように生きてきた。そしてその選択の責任を、常に自分の親に押し付けてきた。「親が僕を止めるから悪い」と。実際の所、止められようがどうしようが、決断するのは自分でしかなくて、何をどうしようが、何をどうしなかろうが、その選択の結果を見るのは自分なのだ。

僕は自分の「偉大な精神」と比して矮小な考えしか持たない父親をクサす事で自我を保っていたのだろう。結果として、本当に自分が選択しなければならない立場に立った時、呆然とすることになる。ああ、周りはもう既に選んでいて、あんなにも遠く進んでいる…

オンリーロンリーグローリー。そういう応援歌なのかと理解する。

僕は都会で生きたい。一生懸命に逃げてきたのだ。セリーヌに憧れて。ブコウスキーに憧れて。ポールオースターをロールモデルとして。逃げればいつか、その逃げの経験が、「都会が」僕を生かす糧になると信じて。

僕の居場所なんてどこにもなかった。これからもないのだろう。

僕は、僕を書かなければいけない。僕の一面を書く事が世界を書く事なのだ。そしてそれが「世界」である事を判定するのは僕じゃない。僕以外の誰かが、そういう世界もあると納得した時にそれは世界となる。自分の居場所、僕の世界というものは案外にも、他人の心の中にあるものなのだろう。

僕は僕を見下ろすしかない。この僕は今日、何を考えたんだろう? 何を感じたんだろう? 何を選んだんだろう? そしてその選択は、人に何を思わせるんだろう?

何かを人が感じれば感じるほど、僕の在り方は強固になっていく。クリアになっていく。僕が遍在すればするほど、僕の世界は纏まっていく。大きなテントの骨組みの、その一つ一つの柱が、人の心から生えてくるように。

僕は今日チョコミントのアイスを食べた。君は何を食べた?